遠藤は昼休みに入ると、早速姫宮に電話を掛けた。「もしもし、静香?」『真奈美、どうしたの? 今日は仕事でしょう?』「うん、そうなんだけど……ねえねえ、聞いて! 静香が紹介してくれた鳴海社長、早速契約を交わしてくれたのよ!」『ええ!? 本当に? もう決めたの!?』「うん。即決よ! やっぱり流石鳴海グループの副社長よね。一応あの物件はマンションとして売り出しているけど、部屋のグレードによっては億を超えるからね?」『そうね。今住んでいる部屋も億ションだから』「でも不思議よね? 何故2部屋なのかしら? 1LDKの部屋は賃貸だし……」2人の事情を何も知らない真奈美は不思議でならなかった。『そうね。私も実はその辺りの事情は分からなくて』秘密を漏らすわけにはいかないので姫宮は知らないふりをした。「そうよね、いくら秘書でもそこまでプライベートな事は分からないものね。でも、そのおかげでこちらとしては助かったわ。だって億ションが売れて、さらに月の家賃が65万円の賃貸契約を結んでもらえたんだもの~。ほんと、静香には感謝するわ。今度何か食事奢らせて?」『そうね~ならフランス料理を奢って貰おうかしら?』姫宮が冗談めかして言う。「ええ~っ! いやだあ! せめてイタリアンで勘弁してよ」真奈美があからさまに嫌がる素振りを電話越しに聞いて姫宮はクスクスと笑った。『フフ、冗談よ。でもイタリアンね? 約束よ?』「うん、まかせて! 何所かいいお店探しておくからね」『ところで、引っ越しはいつ頃になるの?』「引っ越し日ね? 4月の24日に決まったわ。」『4月24日……』「え? 何? どうかしたの?」『ううん、何でも無いの。引っ越しまで1カ月先なのかって思っただけよ』「そうなの。もう今日すべての手続きを終わらせてくれたわ。前金も来週の月曜日に振り込んでくれるって。大口のマンションが決まって本当に良かったわ。これでまた出世に近付いたわ」フッフッフッと嬉しそうに笑う真奈美。『ねえ、出世もいいけど、結婚とかは考えないの?』「そうね~。私達ももう30歳だものね。て言うか、そういう静香こそどうなのよ? 今付き合っている人とかはいないの?」『ええ、いないわ。でも気になって目が離せない人はいるけどね』姫宮は朱莉のことを思い浮かべた。「ええ!? いつの間にそんな相手がい
翌朝――翔と朱莉は姫宮に紹介された不動産会社の応接室に来ていた。「翔さん、ここは応接室ですよね? 何故私たちはこの部屋に呼ばれたのでしょうか?」朱莉が蓮を抱きながら翔に尋ねた。「う~ん……姫宮さんの紹介だからかな……?」翔も訳が分からず首を捻る。するとドアをノックする音が聞こえて、50代くらいの男性社員と共に、女性社員が現れた。「失礼いたします。鳴海様、本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。私はここの支店長の早川と申します。そしてこちらが本日物件を紹介させて頂きます遠藤です」支店長の早川は丁寧に挨拶をしてきた。「姫宮の紹介に預かりました遠藤と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」遠藤は丁寧に頭を下げた。「こちらこそよろしくお願いいたします」翔も挨拶を返し、朱莉と2人で頭を下げた。(上玉のお客だから、絶対に逃さないようにしなくちゃ。それにしても……)遠藤は朱莉と翔をチラリと見た。(この夫婦……本当に美形カップルね。羨ましいわ。赤ちゃんも可愛いじゃないの)「それで先にご案内させていただきましたが、御覧になった物件はいかがだったでしょうか?」早川の問いに翔は答えた。「ええ、とても良い物件だと思いました。それで早速ですが内覧をさせていただけるのですよね?」「はい、勿論でございます。すぐにご案内させていただきます」そして翔と朱莉は遠藤の運転する車に乗った――六本木駅から徒歩5分。今翔と朱莉が済んでいる億ションとは駅を挟んで反対側にあるそのマンションは現在の住まいよりは多少グレードが落ちるものの、申し分のないマンションだった。コンシェルジュ付きでセキュリティは問題ない。何より翔が魅力的に感じたのは保育所がある点だった。24時間体制で、子供を預かってくれるので安心できる。部屋の作りは全室に広い造りつけの収納スペースがあり、空調も完備されているし、キッチンは最新型の食洗器とガスオーブンが備え付けられており、朱莉は興味深げに眺めていた。そして約1時間後――内覧を終了し、不動産会社に戻って来ると遠藤が翔と朱莉に尋ねてきた。「いかがだったでしょうか? お気に召されましたか?」「はい、そうですね。1Fに保育所があるところが特に気に入りました。入居者は誰もが利用できるのはいいですね」翔は返事をした。「マンション
「おはようございます。翔さん」姫宮は仕事の手を休めて出勤してきた翔に挨拶をした。「ああ、おはよう。姫宮さん」翔はコートを脱ぐと、ハンガーにかけ、早速デスクに向かうと姫宮はコーヒーを淹れて翔のデスクに置いた。「ありがとう」翔はコーヒーを口にした。「ん? 今朝のコーヒーはいつもとは違う気がするな?」「やはりお気づきになりましたか? こちらはマンデリンとブラジルのブレンドなんです。香りが通常より濃いそうですよ。如何でしょうか?」「うん、美味いよ」翔は満足げに頷く。「あの、翔さん。知り合いからとても良い物件の紹介が入ってきました。目を通していただけますか?」「本当かい? それは助かるな」翔は笑顔になった。「では今から翔さんのアドレスに物件の案内と画像を送らせていただきますね。HPのURLも併せて送信します」「ああ、ありがとう」ほどなくして翔のメールアドレスに姫宮からメッセージが入って来たので翔は早速中身を開いた。そのマンションは六本木駅から徒歩5分圏内にあるマンションであった。間取りは2LDKだが、可動式間仕切りが付いているので使い方によっては3LDKにする事も可能になっている。リビングダイニングキッチンの広さは15畳で、その他の2部屋はそれぞれ8畳間と10畳間になっている。そして都合の良いことに隣の部屋の物件は1LDKとなっている。「うん。なかなかいいかもしれないな」翔は満足して頷く。「それでは早速内覧に行かれた方がよろしいかと思います」「ああ、そうだね。丁度明日は土曜日だから朱莉さんと蓮の3人で行ってことことにするよ」「では私から連絡を入れておきますね」そして姫宮は真奈美にメッセージを送った。****11:50—— その頃朱莉は蓮に明日香が送って来た絵本を見せていた。この絵本は文字がかなり多く、大人向けの絵本のようにも思えた。はっきり言えば蓮にはまだ早すぎる絵本ではあったが、明日香の描いた美しいイラストを眺めるだけでも十分だった。朱莉は蓮にイラスを見せながら話しかけた。「ほら、レンちゃん。この絵はね、レンちゃんのママが描いたイラストなのよ? とても素敵でしょう?」ページいっぱいに広がるイラスト。満月の空に無数の星が描かれており、それは朱莉がモルディブで見た星空のように美しかった。朱莉は自分の膝の上に乗っている蓮を
広尾にある筑3年の1LDKでロフト付きのお洒落なデザイナーズマンション、ここが姫宮が住んでいるマンションだった——シンプルだけど、豪華な家具が置かれた室内に姫宮の話し声が聞こえている。「ええ。そうなのよ。それじゃ、お願いね。うん、また一緒に飲みに行きましょう。じゃあね」姫宮は電話を切ると時計を見た。時刻は21時を回っている。「ふう……」溜息をつくとキッチンへ向かい、冷蔵庫から缶ビールを取り出すとPCの前の椅子に座った。プルタブを開けてクイッと飲むと、キーを叩いて検索を始める。「ここなんかどうかしら……六本木駅から徒歩5分……。隣同士か上下の階で空き部屋が無いかしら……」明日香は翔と朱莉の為の新居を探していた。「でも……真奈美に任せておけば安心よね」真奈美という人物は、先程まで姫宮が電話で話をしていた相手である。学生時代からの友人で不動産会社に勤務している。今姫宮が住んでいるこの部屋も彼女が自ら物件を探して紹介してくれたマンションである。 PCの画面を切り替えて、映画配信サービスに繋ぐと姫宮はビールを飲みながら映画鑑賞を始めた。兄の京極正人の住む億ションへは滅多なことでは行かないようにしていた。何故ならそこには翔も朱莉も住んでいるからだ。だから京極を訪ねるときは常に最新の注意を払っていた。「朱莉さん達が引っ越しをしてくれるのは願ったり叶ったりだわ……。でも絶対に正人には引っ越し先が知られないように注意しなくちゃ。朱莉さん達が引っ越しする日、正人にはどこかに行って貰おうかしら」姫宮は今回の引っ越しは京極には内緒にしておくつもりだった。最近の京極は過激になってきている。大胆になり、時には犯罪の一歩手前では無いだろうかと思われる行動に及んでいる。それが姫宮は気が気ではなかったのだ。仮にそんな真似をして京極に知れたらただでは済まないことは十分姫宮には分かっていた。けれど、姫宮はどうしても京極の言う事を聞かなければならない理由があった。それは子供の頃に自分だけが姫宮家に引き取られた理由だけでは無い。姫宮が大学3年の時に、義理の父は受け継いだ会社の経営を失敗し、巨額な負債を作ってしまい倒産寸前まで追い込まれてしまった。その危機を救ったのが京極だったのだ。その頃京極は起業した経営も軌道に乗っており、さらにデイトレーダーで巨万の富を築いていた。そこ
——昨夜のこと。「朱莉さん……引っ越しをしないか?」「え……?」朱莉は突然の申し出に目を見開いた。「ど、どうしたんですか? 突然引っ越しだなんて」「い、いや。朱莉さんも一時引っ越しを考えた事があるだろう? 蓮が生まれて沖縄から東京へ戻って来る時に京極のことを考えて……」「ええ、そうでしたね」「あの時は本当にごめん」「翔さん、もういいですよ」朱莉は優しい声で言った。「それで……今更かもしれないけど朱莉さん。ここを出よう。別の物件を探して、そこで暮そう。京極だってこの億ションにいるんだ。……あいつから離れるにはまずは引っ越しをした方がいい。怖いだろう?京極が」「……」朱莉は黙って頷いた。「で、でも……いきなり引っ越しなんて……」「もともとこの億ションは明日香が気に入って決めたんだよ。だけどもう明日香がここに戻って来ないなら住み続ける意味も無いし」「確かにそうですね。私にとってもここは贅沢過ぎる場所だと思っていました。私には不釣り合いだとずっと感じていたんです」「本当かい? それじゃ早速マンションを探そう」「同じマンションで隣同士が空いているといいですね」「え?」朱莉の言葉に翔は固まった。「翔さん? どうかしましたか?」「あ……い、いや。そうだね。部屋は隣同士か、上下の方が確かにいいね」「私の部屋の間取りは1LDKで大丈夫ですよ。蓮君と2人だけですから」「蓮と2人……」翔は小さく呟いた。その言葉で、朱莉は自分と一緒に暮らす意思は全く無いのだということが十分すぎるくらい伝わってしまった。(やはり朱莉さんは俺のことを蓮の父親としてしかみていないのか……。俺と家族になるのを考えてもいないってことなんだろうな……)空しさを覚えながら、翔は朱莉を見た。「朱莉さんはこの契約婚が終わった後は……どうするつもりなんだい?」「え……?」朱莉は改めて翔を見上げた。今迄一度も翔からそのような質問をされた事が無かったので、戸惑ってしまった。「朱莉さん。答えてくれ」真剣な瞳で朱莉を見つめる翔。「え……と……そうですね。翔さんから頂いたお金で2LDKのマンションを買おうかと思っています。母も体調が回復すればいずれ一緒に暮らせるかもしれませし」「そうか、そうだったね。お母さんが元気になれば当然朱莉さんと緒に暮らすことになるしね」言い
翌日――オフィスで昼食を食べながら翔は不動産のHPを見ていた。目的は新しい住まいを探す為である。(やっぱり会社から近い物件がいいな……。朱莉さんや蓮の為に、セキュリティもしっかりしていないと……)翔が見ているのは六本木周辺のマンションである。希望の部屋の間取りは2LDK〜3LDK。明日香が戻って来ない今となっては、はっきり言ってしまえばあの億ションに住む意味は無くなってしまった。元々は明日香の強い希望で今の場所に住んでいたのだが、1人で住んでいる翔に取ってはあまりにも広すぎて無用の長物となっていた。何より朱莉自身が贅沢を好まない。実際朱莉が使用していない部屋は2つもあるのだ。(それに、あそこには京極も住んでいる。朱莉さんを守る為にも、引っ越しをしなければ……)そこで改めて翔は思った。朱莉に引っ越しを提言された時、話を聞いて希望を受け入れてあげるべきだった。そうしていればこのような事態にはなっていなかったかもしれない。「俺は……本当に何て自分勝手な男だったんだ……」今更ながら激しい後悔が込み上げ、思わず翔はポツリと呟いた。そこへ昼食を終わらせた姫宮がオフィスに戻ってきた。「ただいま戻りました」「ああ、お帰り。姫宮さん」翔はPCから顔を上げると姫宮を見た。「翔さん、お食事には行かれなかったのですか?」「うん。少し調べたいことがあってね」「調べたいこと……ですか?」「実は引っ越しを考えているんだ」「引っ越しですか?」姫宮は首を傾げた。「昨日朱莉さん宛てに明日香からもうすぐ出版される絵本が届いたんだ。それと一緒に手紙も添えられていて……俺とはもう修復は不可能だと書いてあったんだよ」自嘲気味に翔は言った。「まあ……」眉を顰める姫宮。「おまけに今は長野で恋人と暮しているそうだ。つまり、明日香と俺はもう終わったってことさ」「それで引っ越しを考えておられるのですか? 朱莉さんと蓮君の3人で?」「ああ。元々今住んでいる億ションは明日香の希望だったんだ。でも俺としてはあんなに沢山の設備が完備している必要は無いと思っていた」「そうですね。確かに今お住いの物件はかなり設備が整っていますね。フィットネスジムやスパ、サウナや図書室……それにラウンジバー迄ありますし」「それだよ、もう引っ越しして2年が過ぎたのにまだ一度も使ったことが無いん
その頃、二階堂は琢磨と電話で話をしていた。「資料見たぞ。ご苦労だったな。やはりアメリカ製の調理家電は中々人気があるみたいだ。売れ行きも上々だよ。しかし、お前がこの製品に目を付けたとは思えないなあ? 何せ料理音痴だし」『料理音痴だけ余計ですよ。現地の女性スタッフが勧めてきたんですよ』「そうか……で、その女性の目は青いのか?」二階堂はからかうように言う。『ええ。そうですね。青いです』「ブロンド美人か?」『ブロンドでは無いですね。茶色の髪です。……あの……この質問に何か意味があるんですか?』電話越しから琢磨が尋ねてきた。「ああ、そうだ。重要だ。それで……その女性は独身なんだろう?」『……二階堂社長』「何だ?」『一体何が仰りたいのですか?』「いや。海外での男の1人暮らしも中々辛いだろう? そろそろ誰か良い女性でも現れたのかと思ってな」『彼女は結婚もしてますし、子供もいますよ。全く……何を考えているんですか』琢磨のため息が聞こえてきた。「そうか、それは残念だな。だが、結婚を考えるような女性が現れたら必ず俺に報告しろよ? ハネムーン休暇を取らせてやるからな」『……生憎、俺にはそんな気はありませんよ』「九条……まだお前、朱莉さんに未練があるのか?」『ちょっとやめてくださいよ! 未練なんて言い方。まだ失恋だってしていないのに……』「ああ、そう言えばそうだったな?」『そうですよ。全く……』「まあいい。それより九条。お前、鳴海グループで翔の秘書をしていた時個人的に鳴海会長とやりとりをしていたよな?」『ええ。そうですけど』「姫宮静香……知ってるだろう?」二階堂は本題に入った。『ええ。知ってますよ。会長の元秘書で今は翔の秘書ですよね?』「あの女……怪しいと思うんだ」『え? 何が怪しいんですか?』「いや……どうも意図的に鳴海を陥れようとしている気がして……」疑問を口にする二階堂。『そうなんですか?』「ああ。単なる勘だけどな……」『そうなんですか?』「九条。お前は姫宮静香について何か情報持っているか?」『いいえ、何もありませんよ。何せ俺は彼女に会ったことはありませんからね』「まあ……そうだよな。取りあえず俺は京極正人と並行して姫宮静香についても調べてみようかと思っている。何か進展があったらお前にも教えてやるよ」『ええ、
昼休み、翔がオフィスで食事をとっていると朱莉からメッセージが入ってきた。『明日香さんのことで大事なお話があります。もしよろしければ今夜お話し出来ますか?』「明日香のことで……?」(何だろう……何だか嫌な予感がする……)『今夜は会議が入っているので22時頃なら朱莉さんの処へ行けると思う。食事は会社でで食べて来るから気にしないでいいよ』翔はそれだけ打つとメッセージを返した。するとすぐに朱莉から返信が来た。『お待ちしています』「……やはり何かおかしい……」翔はポツリと呟いた。いつもの朱莉なら何か一言メッセージが添えられているが、今回に限り、添えられていない。まるで何か切羽詰まった状況を感じずにはいられなかった。「何だか嫌な予感がする……」そして翔の予感は見事に的中するのだった――****22時15分――翔は朱莉の部屋のドアの前に立っていた。インターホンを鳴らすと、程なくしてドアが開けられて朱莉が姿を現した。「こんばんは。朱莉さん」翔が挨拶をすると、朱莉も頭を下げて挨拶をしてきた。「こんばんは、翔さん。お仕事でお疲れの所お呼び立てしてしまい、申し訳ございませんでした。どうぞ中へお入り下さい」「ああ……それじゃお邪魔します」リビングへ行くと、ミシンが置かれていた。そしてベビーベッドにはぐっすり眠っている蓮の姿がある。「ミシン……?」翔の視線に気づいたのか朱莉が恥ずかしそうに言った。「あ、あの……実はレンちゃんの為にベビー服を縫ってあげたいと思って、この間ネット通販でミシンを買ったんです」「へえ〜朱莉さんは裁縫が得意なんだね。あ……そう言えば以前手編みのマフラーをくれたことがあったね。あのときはありがとう。寒い日はマフラーを使わせて貰っていたよ」改めて礼を言うと、朱莉は笑みを浮かべた。「使っていただいて良かったです。編み物は母に教えて貰ったのですが、ベビー服は初心者なので今はまだ簡単な物から作っているんです」「そうなのか。もし蓮の服が出来たらその時は俺にも見せてくれるかな?」「はい! 勿論です。今お茶入れてきますね」朱莉は立ち上がるとキッチンへと向かった。翔はソファに座り、何気なくウサギのネイビーが入っているケージを見た。そこには微動だせずにじっと目を開けているネイビーがいた。「へえ……こんなに大人しかったかな……?」
予想通りの答えに二階堂は頷く。「やっぱりそうなるか?」「ええ、いくら秘書といえど私がお世話をするのは仕事のことのみです。プライベートなことまで関わらせるのは契約違反です。余程個人的理由が無い限り、まずありえない話ですね」「そうだよな……確かに……」二階堂はポツリと呟いた。「あの? 社長……ご用件はもうお済みでしょうか?」向井が尋ねてきた。「ああ、もう大丈夫だ。引き留めて悪かったな。下がっていいぞ」「はい、失礼いたします」向井は丁寧に頭を下げると、社長室を後にした。二階堂は1人になると呟いた。「姫宮静香か……」二階堂は姫宮がバレンタインの日に翔と女性記者のインタビューをセッティングしたことを聞かされた時から怪しいと考えていた。おまけにこの間翔の家でワインを飲んだ時に、朱莉と翔が昼休みに式典に来ていく服を買いに行った際、姫宮が子供を預かってくれたと言う話まで出た時には正直驚いた。「幾ら秘書とはいえ、踏み込みすぎている。式典で会ったことはあるが必要以上に朱莉さんと親しげだったし……一度話を聞いてみた方が良さそうだな……」そして二階堂は向井が持って来た資料に目を通し始めた——**** その頃、朱莉は蓮を膝の上に乗せて絵本の読み聞かせをしていた。蓮が5カ月を迎えてからは毎日読み聞かせをするようになったのだ。絵本の読み聞かせをしながら朱莉は蓮の様子を伺った。大きな動物の絵が描かれた絵本を蓮は食い入るように見ている。「アーアー」蓮は犬の絵を見てパシパシ叩いている。(この頃の赤ちゃんて……目はもうはっきり見えているのかな? そうだ、4月になったらレンちゃんを連れて動物園に遊びに行ってみようかな……)朱莉はそのことを考えると今から楽しくなってきた。その時、突然インターホンが鳴り響いた。「あら? レンちゃん。誰かなあ?」朱莉は蓮を抱きかかえたままいそいそと玄関へ向かい、モニターを確認すると宅配業者だった。『鳴海朱莉様ですか?』「はい、そうです」『お荷物をお届けに参りました』「今開けますね」朱莉はボタンを操作して、自動ドアを開けた。「レンちゃん。荷物だって……何かなあ?」朱莉は蓮を抱っこしたまま玄関で待っていると、程なくして再びインターホンが鳴った。ドアを開けると大きめの茶封筒らしき小包を抱えた宅配業者が立っていた。朱莉はお届け用